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『ですぺら』 感想 ネタバレ注意 [その他]

小中千昭×安倍吉俊『ですぺら』(2011年5月、徳間書店)を読んだ。

買った理由は小中千昭×安倍吉俊だから。

二人とも、いままで関わった作品を見てきて、好きな感じなので。
『ニア アンダーセブン』のマンガとかその他いろいろ持ってます。


感想はネタバレがありますので、以下はもう読んだ人やネタバレかまわんよっていう人が読んでください。


まず、当然のことながら、
安倍吉俊が描く女の子がかわいい。
(あいん超かわええ。俺もあいんと暮らしたい。)
そして、背景の建物とか機械とか絵の全体に独特の雰囲気、空気感がある。
なんていうんですか、陰翳っていうんですかね。
やっぱりいいわー。


で、お話について。


物語が進むと、ある重要な事実が明かされます。
ある意味シックスセンス的な。ちょっと違うけど。

まず、読者が『ん? どういうこと?』って思うところが、
(つまり、ある事実について予告的なところが、)

50頁の榎木少尉と憲兵の山野井の会話、

「女の子?」
「一緒に暮らしてゐるぢやありませんか」
 今度は山野井が怪訝さうに首を傾げた。
「知らんな……。自分は見ていない。」

というところです。
『え? あいんってなんなの?』
と思うわけですね。

安倍吉俊さんの3枚目の絵の方で、シナリオ(脚本?)みたいなのが
重なってて、竹下が女将に札束を出して、
女将「あいんちゃん。あんた、この人ン処に行くんだ」
っていう場面があったので、そういうことだと思ってたんだけど、

それは竹下の記憶であって、

じつはあいんちゃんは人形で、人形師の工房から竹下が盗みだしたものだったわけです。

竹下が、あいんのことを生きてる少女だと思い込んでるのは、イッちゃってる主体だからいいとして、
なぜ陸軍戸山研究所の榎木までも――談話のところでも「人間でしたとも。慥かに」と強調されるように――あいんのことが人間に見えていたのか、謎だったんだけど、

最後の、あいんを失った竹下が震災後に池袋西口の立教あたりで飲んで椎名町のアトリエ村に行ってあいんをモデルにした彫刻や絵画を発見して、

「震災前の頃から全く變はらぬ姿で、あいんは今も何處かに居る。そして、其の時近くに居る者に何等かの靈感を與へ續けてゐるのだ。/もう竹下といふ男に、其の恵が與ふる事は無い筈だ。」

っていうところを読んで謎がとけました。

あいんのことが生きた人間の少女に見えるのは、若い男だけ。

榎木少尉と山野井軍曹の会話のシーンを振り返ると、

「位は下でも、年齢は十ばかりも上だと思はれる山野井に、榎木は敬語で喋り續けた。」

とあって、これがヒントだったわけです。
最後の章(節?)の「◎昭和」でも、

「竹下はもう若く無かつたが、」

とあります。だから、アトリエ村の若い絵描きや彫刻家にはあいんが見えても、竹下にはもう見えないのです。既におっさんの笛小路子爵には見えていなかったのです。

年を取っていく男と年を取らない少女の出会いと同居と別れ。

(´;ω;`)ブワッ


でも竹下って自覚が有ったのか無かったのかわからないけど、ぶっちゃけあいんを人形だとわかっちゃってるフシあるよね。人間扱いしてないというか。

「普段、竹下の方から話しかけてくる事は滅多に無かつた」

とか、あいんが飛行機に乗ってるとき、十二階の天辺にいるっていう約束を無視して、
子爵邸に囲われてるバーリヤのところに行ってセクロスしようとするとか、
どう考えてもあいんを人間として愛してないだろwっていう。


あいんが「お父さん」という機械をなぜ作っているのか、理由と意味がわからなかった。

ストーリー上の機能として〈お父さん〉が、大地震のとき凌雲閣にいたあいんを瓦礫のなかから脱出させる道具としての役割をもっているというのはわかるんだけど、あいんにとってのお父さんを作る意味、作ろうとした動機ってなんだったんだろうかと。

また、これをフロイトとかラカンとか精神分析的な理論で読み解こうとすればできるのかもしれないけど、僕は詳しくないから無理っす。


あと、僕がアニメージュの連載を読んでないからかもしれないけど
南天堂のカフェであいんともうひとりの女の子が女給(メイド)をしている絵はどうことなのかわからなかった。もともとはあいんが女給をするエピソードがあったんだろうか。



で、ツッコミ


この小説は旧字旧かな(正字正かなともいう)で書かれています。
書かれているっていうか、書こうとされています。
というのも、書き手が旧字旧かなにおそらく慣れてないので、極めて不完全なものになってしまってます。
大学で日本文学をやっていたこともあり、旧字旧かなを超読み慣れてる自分的には気になりました。
仮名づかいの誤りについては正誤表を載せているブログがありましたのでググッていただいてそちらをご覧になっていただくとして、
ここで指摘したいのが新字と旧字の混在です。
たとえば43頁下段10~11行に
「酒を賣るのが商売ではない。」
とあるんですが、
「賣る」と書くなら「商売」ではなく「商賣」と書くべきです。

あと「不満」(43頁下段15行)の「満」が「滿」になってないとか、
「灯」(45頁上段6行)が「燈」になってないとか、
「回」(45頁上段6行)が「囘」になってないとか、
「絵」(45頁上段9行)が「繪」になってないとか、
「続」(45頁上段9行)が「續」になってないとか、
「声」(45頁上段12行)が「聲」になってないとか、

めんどくさいので全部は書きませんが、上記の他、
「弁」「学」「広」「芸」「教」「対」「応」「数」「恵」などが
新字のままだったり、別の場所では旧字に変換されたりしていました。


今まだあるかどうかわかりませんが、以前、新字新かなの文章をコピペしてクリックすると、
旧字旧かなに変換してくれるサイトがネット上のどこかありました。そういうのを利用したほうがよかったと思います。

というか、使ってるフォント的にすでに限界があって、文学全集とかのようにガチに旧字旧かなをやるなら、
「的」の点が「一」になったり、「内」の「人」が「入」になったり「道」でもしんにょうの点が二つになるようなヤツを使わなきゃだめです。ガチにやってほしかったなぁと。


あと、「B-side」という小中氏による時代解説的エッセイで、
「数多くの外国人が殺された事は否定出来ない事実だろう。」(116頁)とか
「見慣れぬ顔だと自警団が呼び止め、言葉を喋らせ、少しでも不自然さがあれば不逞外国人だと断定され、リンチされたのだ」(116頁)とあって、
文脈から判断するに、ここで小中氏は「外国人」という言葉で朝鮮人のことを(あるいはそれに中国人などをプラスしたものを)あらわしているのだが、
これは間違いである。韓国併合から終戦までの期間において朝鮮人は日本国民であって外国人ではない。


あと、161頁で根津典彦氏が「日章旗とポチョムキンの回」と発言しているのだが、
日章旗ではなく旭日旗である。
間違える人が多いのだが、日章旗とは日の丸のことで、放射状のストライプのは旭日旗である。




話しを変えましょう。


安倍氏の漫画部分がおもしろかった。
伊集院光のラジオネタうけたw


『ですぺら』の話に戻すと、
人間の男と機械の少女と人間の女の、ある意味三角関係的な部分で言えば、小中千昭氏がシリーズ構成と脚本をやった『THE ビッグオー』と共通するところがあるなと思った。


特別寄稿の一柳廣孝氏と吉田司雄氏の文章も興味深く読んだ。
そうそうピグマリオンなー。
Ever17っていうゲームで出てたよなー。
笠原弘子のキャラが●●(ネタバレ防止のため伏せます)だったんだよねー。


以上、こんな感じです。
まだ読んでなくて興味がある人は読んでみてはいかがでしょうか。
いい作品です。






ですぺら(ロマンアルバム)ユリイカ2010年10月号 特集=安倍吉俊 『serial experiments lain』『灰羽連盟』『リューシカ・リューシカ』・・・仮想現実の天使たちscenario experiments lain/シナリオエクスペリメンツ レイン[新装版]

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